- 2012年04月20日
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まずは昔話の続きから・・・
体験を通してユニバースのメソッドをつくる
ユニバースが入ってくる2年ほど前、京子がそれまでの公務員の仕事を退職したこともあって、本格的に二人で気功やヒーリングをあちこちに習いにいくようになりました。そしてこの世界のことが少しずつ分かってきました。伝授者にもいろいろな人がいること。使い方や考え方にも色々な違いがあること。また、エネルギーの来ているところにも違いがあること。料金も、すごく高額なものからいろいろでした。この間に読んだたくさんの本・・バーバラ・アン・ブレナンさんの「光の手」や「引き寄せの法則」、「ホ・オポノポノ」なども新しい世界を教えてくれました。こうした経験や知識は後にユニバースのメソッドをつくるため、とても役立ちました。そして多くの人との出会いもありました。
今振り返ってみると、ユニバースは、私達が自然と意識を変えていけるように様々なものとの出会いを導いてくれました。無駄な経験はひとつもありませんでした。
過去と再会する経験
私達は、エネルギーの世界に惹かれながらも、それまで50年の世間常識の信念体系をなかなか変えられないところがありました。
いろいろな伝授を受けだした頃のことです。
ある夜、指圧治療院の閉店後に二人で話していて、エネルギーは距離や時間を超えるというのだから、過去のエネルギーを呼べば過去に行けるのではないかという話になりました。「じゃあ25歳でやってみようか」ということで、25歳の時の私のエネルギーを操が呼んで私に入れることになりました。私は治療院の指圧用のベッドにうつぶせになりました。枕に顔をつけて目を伏せていると、いつもと違う不思議な感覚で、黒い背景に光の粒子がいくつもピューピューと、後ろへ流れていくのが見えて、「あれ?あれ?」と思っていると、ざらざらした感触のコンクリートが見えました。そのコンクリートの床に陽が当たっていました。そして、端の方にシートが敷かれ、麦が干してありました。景色がセピア色がかってはっきりと見えました!!
その先は、地面の木陰になっていて、花壇があって、花壇の輪郭に沿って花が咲いていました。私ははっとしました。それは私の25歳の誕生日にまちがいなく居た場所でした!
私はその時務めていた養護学校の中庭そのものに立っていました!!
短い時間でしたが、この時の経験は初めて「はっきり見えた」ものだったので、今までの常識を壊す強いインパクトがありました。そして「見えないものを信じない」という私のガードをいっぺんに外してくれました。(京子)
いろいろなエネルギー
その当時私達は本当に色々なものに首をつっこんでいて、退職金をつぎ込んで、伝授だけでも大小14種類を受けていました。その他全国の気功や、外国からのリコネクション・シータヒーリング・その他セミナーや、本を出版している人の講演会にも多数出かけ、ここで色々な人から色々な考え方と技法を学びました。エネルギーにもいろいろな特徴や波動の違いがあって、良いものもあれば、うさんくさいものまでいろいろでした。
ユリ・ゲラーさんのセミナーに行った後は、自分でもスプーン曲げができました。でも荒いエネルギーで、私達には向かないようでした。
アカシックレコードにアクセスしたり、オーラを見たり、潜在意識に働きかけたり、本当にいろいろなセミナーがありました。
その頃、私達は伝授を受けた「**エネルギー」の講習会のインストラクターのような仕事を1年余りしていました。ここでも多くのことを学びましたが、始めは尊敬できる先生と思った人が、だんだん金もうけ主義になってきて離れて行かざるを得ませんでした。
他のエネルギーのグループからも誘われてメンバーのようになろうとするとこれもうまくいかずで、結局自宅の小さなマンションで、自分たちで「気功教室」を開くようになりました。
始めは今まで受けてきたヒーリングエネルギーを編集して「ルート」「ファーストエナジー」というエネルギーを伝授してヒーリングの仕方を参加者に教えていました。
ところが次々にまた新しいエネルギーが入って来て「グリッド」「セントラルユニバース・ラブ」「アースセントラル・サン」と、増えていきます。
後で考えるとユニバースに先行したエネルギーが入ってきていたようです。
気功教室は1年あまり行いましたが、その後ユニバースが入ってきたので、会場を借りてのユニバース伝授講習会に発展解消となりました。
ユニバースが来たのが6月頃。
そしてその年の12月末に第1回目のユニバース伝授講習会を東京で開催しました。
そして7人の方がユニバースレベル1の伝授を受けてくれました。
嬉しいことに、当時「気功教室」に来てくれていた方々はユニバースの伝授を受けて、今も私達と一緒にユニバースを発展させてくれる仲間となってくれています。
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